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【光る君へ】第9回「遠くの国」回想② 直秀終焉の地、鳥辺野では夕顔、道長も葬儀 為時が中国語で詠んだ漢詩は花山天皇を励ます - 読売新聞社

京を代表する葬墓地・鳥辺野で逝った直秀

大河ドラマ「光る君へ」の第9回「遠くの国」。山の向こうの海の見える遠い国へ行きたかった直秀が、志半ばで別の「遠くの国」へと旅立ってしまいました。涙なしには見られないシーンでした。直秀が命を落としたのは京の東にあった鳥辺野(とりべの)でした。現在の京都市東山区内にあたり、鳥部野・鳥戸野とも記されました。吉田兼好が『徒然草』に「あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらで」と書いたように、化野(あだしの)とともに京を代表する葬墓地でした。『源氏物語』でも、葬墓地としてこの地域は何度か登場します。光源氏の母の桐壺更衣、正妻の葵の上らが葬られました。

鳥辺野に連れてこられた直秀たち。この時、その命運はもう尽きていたとは。

夕顔の亡骸と面会、手を取り声をあげて泣いた光源氏

そうした中で印象深いのは、17歳頃とまだ若い光源氏と懇ろになり、その後急死した夕顔です(第4帖「夕顔」から)。どうしても別れを告げたい、と光源氏は止められるのも聞かず鳥辺野まで赴き、夕顔の遺骸と対面します。

恐ろしきけもおぼえず、いとろうたげなるさまして、まだいささか変わりところなし。手をとらえて、「われに今一度声をだに聞かせためへ。いかなる昔の契りにかありけむ、しばしのほどに、心をつくしてあはれに思ほえしを、うち捨ててまどはしたまうが、いみじきこと」と、声も惜しまず泣きたまふこと限りなし。

遺骸は恐ろしい感じもせず、ほんとうにかわいらしい様子で、生前と変わったところもない。光源氏は遺骸の手をとって、「もう一度声を聞かせておくれ。どんな前世の定めがあったのか、たちまちのうちに、心の限りいとしいと思われたのに、私を捨てて途方にくれさせなさるのは、あんまりだ」と声の限りに泣くのであった。(新潮日本古典集成より)

重要文化財「源氏物語絵色紙帖 夕顔 詞青蓮院尊純」京都国立博物館蔵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

当事者の年齢といい、今回のまひろや道長たちを連想させる情景描写です。まひろは直秀をめぐるこの壮絶な体験をもとに、夕顔らの死も描く、という前触れなのかもしれません。

道長も鳥辺野で葬儀 まひろはその時?

藤原道長はこれから42年後の万寿4年(1028年)の暮れに死去。やはりこの地で葬儀が行われます。源倫子のサロンの先生、赤染衛門(「光る君へ」では凰稀かなめさんが演じています)が作者という説もある『栄花物語』には、興福寺や東大寺、三井寺、仁和寺など錚々たる寺から数えきれないほどの念仏僧が集まり、壮大な葬儀が行われた様子が描写されています。

国宝「栄花物語」鎌倉時代 13世紀 九州国立博物館蔵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

つまり同じ場所で、直秀の最期とは実に対照的な光景が繰り広げられたことになります。仮にまひろがその様子を見ていたとしたら、その胸にはどんな思いが去来するのでしょう。「光る君へ」で、道長の終焉も描かれるのでしょうか。鳥辺野は登場するのでしょうか。まひろはどんな形で葬儀に関わるのか……などとつい想像を逞しくしてしまいました。いずれにせよ、今回のエピソードもしっかり覚えておきたいです。

為時、漢詩で花山天皇励ます  中国語話者としても達者?

ほんの一瞬でしたが、「光る君へ」ファンなら耳に留めた方もおおいかと思います。まひろの父、藤原為時(岸谷五朗さん)が花山天皇(本多奏多さん)に何やら御進講しているとき、中国語らしき言葉で伝えていました。

あれはいったい?と思って調べてみました。花山天皇に読み聞かせていたのは藤原為時の自作の漢詩でした。「本朝麗藻」という平安中期の漢詩集に収められていたものです。

意としては、唐でも日本でも白居易の名を慕う者が多く、彼の残した詩文はいつの時代も謳歌されることや、孔子が周公(旦)に憧れて長い間夢に見てきたことなどを引用して、天子の御代が過ぎ去ったなどと言ってくださるな、という内容です。愛する藤原忯子を失い、弱気になっている花山天皇に「あなたの時代は終わっていませんよ」と励ます中身と読み取れます。天皇の厚い信頼を裏切り続けることができなくなり、実力者の藤原兼家に「天皇のことはもう教えられません」とスパイを断った為時らしいとも言えます。それにしても、当時の知識人は中国語の発音も学んだのでしょうか?

為時は「語学の達人」かも 越前編への布石?

筑波大名誉教授の湯沢質幸さんの著書「古代日本人と外国語」(勉誠出版)によると、中央官僚養成のために作られた大学寮では、「音博士」という中国音教育を専門とする教官が配置され、寮内の試験でも漢詩文の音読が課せられていました。古い時代には、渡来した唐人の教官が置かれていた事もあり、本格的な中国語教育が施されていたことが伺われます。とはいえ、平安時代中期以降には漢籍の音読は衰退し、訓読が一般的になりました。高等教育を受けた為時は漢籍の音読も学んでいたことは間違いありません。そしてドラマの設定としては、かなりの語学の達人、ということになるのかもしれません。

というのものちに越前国守となった為時は、宋からやってきた商人たちと交渉にあたる、というストーリーがすでに明らかにされているからです。為時と接点を持つことなる宋の商人・朱仁聡として、浩歌(ハオゴー)さんがすでにキャストされています。2人の間でどんな会話が交わされるのでしょうか。そこにまひろも加わってくるのでしょうか。様々な要素が盛りだくさんになりそうな越前編、このあたりも楽しみです。

四字熟語、分かりましたか?

最後に。大学に入る息子の惟規(のぶのり)に為時がはなむけに送った4つの四字熟語です。まひろはもちろん全部分かるでしょうけれど、惟規は「ひとつ分かった」と胸を張っていましたね。

一念通天 率先垂範 温故知新 独学孤陋

ドラマでは、惟規はまひろとの比較でちょっと出来の悪い人のように描かれていますが、実際は勅撰和歌集に歌が選ばれるなど父や姉同様、文才がある人でした。きっと大学でしっかり学んでくる気がします。

「君語り」に注目!毎熊さん、柄本さん、高杉さん登場

「光る君へ」のキャストが、番組公式のインタビューに場面や演技の狙いを語る「君かたり」。2分前後とコンパクトで視聴に役立ちます。今週はヤマ場の回にふさわしく、直秀役の毎熊克哉さん、道長役の柄本佑さん、惟規役の高杉真宙さんという主要キャストが語っています。↓から動画を見られます。
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/movie/
(美術展ナビ編集班 岡部匡志)
◇「光る君へ」の情報が豊富な「美術展ナビ」。これまでの記事を「徹底ガイド」↓でまとめて読めます。

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