NHK連続テレビ小説「ブギウギ」が佳境に入った。戦後の大スター笠置シヅ子さんをモデルとした福来スズ子(趣里)が、いよいよ名曲「東京ブギウギ」と出会い、ブギの女王に駆け上がっていく。
「東京ブギウギ」と出会ってからの笠置さんの人生を、振り返ってみよう。
終戦から2年後の1947年(昭22)に「東京ブギウギ」が発表されると、舞台、映画で歌われ大ヒットした。
翌48年には、黒澤明監督の映画「酔いどれ天使」にクラブ歌手役で出演。三船敏郎と小暮実千代のダンスシーンで、劇中歌「ジャングル・ブギー」を歌い、存在感を示した。同劇中歌は、笠置さんを想定して黒澤監督自ら作詞した。
「東京ブギウギ」の後、名コンビの作曲家・服部良一氏と組み、「ヘイヘイブギー」「ホームラン・ブギ」「買物ブギー」など数々のヒット曲を飛ばした。
「東京ブギウギ」にあやかり、戦後の都市復興のために新曲依頼が殺到。「博多ブギウギ」「北海ブギウギ」「大阪ブギウギ」「ジャブジャブ・ブギウギ」(静岡・伊東温泉)「名古屋ブギウギ」「アロハ・ブギ」(ハワイ)などを歌った。当時、観光や名産品をPRする歌を新民謡と呼んでいたが、今で言う「ご当地ソング」を確立したのが笠置さんだった。
笠置さんがスターに駆け上がっていく50年に、笠置さんが愛した吉本穎右(えいすけ、ドラマでは村山愛助=水上恒司)の母、吉本せい(ドラマでは村山トミ=小雪)が死去する。60歳の若さだった。せいは吉本興業の創業者で、後継者の穎右を亡くした心労などで死去したと言われている。
初期のNHK紅白歌合戦には計4回出演した。初出場は第2回(52年)で、歌謡曲は「買物ブギー」。第3回では「ホームラン・ブギ」で紅組トリ。第4回で代表曲「東京ブギウギ」を歌った。最後は第7回で、「ヘイヘイブギー」で大トリを務めた。
笠置さんは大トリで歌唱した第7回紅白の翌年の57年に、歌手を廃業し、俳優に専念することを発表した。43歳になる年で、理由は「自分の一番いい時代を自分の手で汚す必要はない」だった。完璧主義者だった笠置さんは、所狭しと踊って歌うスタイルに限界を感じたとも言われている。それまでの芸名は「笠置シズ子」だったが、歌手廃業を機に、芸名を「笠置シヅ子」に変えた。俳優転向で映画会社などにあいさつにいった際、「歌手時代のギャラを下げてもらっていいです」と話したという。
85年3月30日にがんのため死去した。70歳だった。墓所は東京・永福の築地本願寺和田堀廟所。法名は「寂静院釋尼流唱」。同墓所には、笠置さんと二人三脚で日本の音楽を変えた服部良一さんも眠っている。
3月末予定の最終回まで残りわずか。笠置さんの人生がどこまで描かれるか、楽しみである。【笹森文彦】
からの記事と詳細
https://ift.tt/327iK0m
エンタメ
Bagikan Berita Ini
0 Response to "佳境に入った朝ドラ「ブギウギ」ブギの女王・笠置シヅ子さん人生がどこまで描かれるか楽しみ - ニッカンスポーツ"
Post a Comment