自身の演奏について「少し間違ってもかまわない。機械じゃあるまいし」とおおらかに語ったフジコさん。その生き方は多くの人の心を捉えました。
スウェーデン人の父と日本人の母のもとにドイツで生まれたフジコさん。家族で日本に帰国し、ピアノ教師の母の指導の下、5歳からピアノを学び始めました。
しかし、父は戦争が始まる直前にスウェーデンに帰国し、母親とともに苦しい生活を送ります。
それでも早くから才能を開花させ、東京芸術大学を卒業後にドイツへの留学を目指しますが、スウェーデンにも日本にも国籍はないとされてパスポートが取得できず、「避難民」としてドイツに渡ったときには、すでに28歳とピアニストとしては出遅れていました。
それでも、現地のベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業し、世界的指揮者のバーンスタインにも注目されるなど頭角を現しました。
しかし、自身のキャリアをかけた大事な演奏会の直前にかぜをこじらせて聴力を失い、栄光をつかみ損ねたフジコさんは次第に音楽界から忘れ去られました。
失意の中、ストックホルムに移住し耳の治療をするかたわら、ヨーロッパ各地で演奏活動を続けていました。
その後、母の死をきっかけに30年ほど続けた海外生活に終止符を打ち、日本に帰国したフジコさんはNHKの番組で大きな注目を浴び、60代の遅咲きのピアニストとして改めて評価されました。
中でもリストとショパンの演奏は高い評価を受けていて、特にリストの「ラ・カンパネラ」は複雑かつ超絶的な技巧で知られる難曲ですが、「自分のカンパネラが一番気に入っている」と語るフジコさんの演奏は迫力に満ちていました。
さらにショパンの「ノクターン」は、郷愁を帯びたゆったりとした演奏で評判を呼びました。
ピアニストとしての活動の一方で、保護猫を多数引き取るなど動物愛護の活動を実践したり、東日本大震災の際にはチャリティーコンサートを開いたりして社会活動にも積極的で、優しく温かい人柄で知られました。
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