アスターは「ミッドサマー」を観終えたばかりの観客の温かい拍手に迎えられながら、満面の笑みを浮かべて登場。「『ミッドサマー』で初めて日本を訪れたときは『アメリカに帰りたくない!』と思ったくらいで、本当に日本のことが深く心に残っていました。こうして『ボーはおそれている』を携えて戻ってこられてうれしいです」と感慨深そうに語る。
Q&Aで最初に質問をしたのは、すでに「ミッドサマー」を20回以上鑑賞しているという熱烈なファン。「人生が変わりました」という同ファンの「(物語が終わった)このあとダニーはどうなっていくんでしょうか?」という問いかけに、アスターは「(ダニーが訪れるホルガ村の死生観、ルールにのっとり)72歳までは幸せに生きられるんじゃないかと思います」とユーモアたっぷりに答える。
続いて手を挙げたのは、京都から駆け付けたという女性。アスターとの対面に感激するあまり涙を流しながら「大好きです!」と思いを伝え「一番のお気に入りのシーン」を尋ねた。アスターはまず「京都は大好きで、今回も4日間ほど滞在しました」とほほえみ、お気に入りのシーンについては「女性たちがダニーを囲んでわんわん泣いているシーンの皆さんのお芝居が好きです。現場で監督としてあのシーンを目撃して、まるで魔法のような瞬間だったことを覚えています」と振り返った。
次の質問は「(長編第1作の)『ヘレディタリー/継承』の観客は、監督との“共犯関係”にあるような悪魔的な立ち位置に置かれていましたが、この『ミッドサマー』では観客をどういう立ち位置に置き、どういう視点で観てもらいたいと考えましたか?」というもの。アスターは少し考えてから「監督の視点で撮るので、観客も監督の視点で観ることは避けられませんが、この作品に関して言うとダニーに共感するように作っています。とはいえ多少の客観性はあり、どちらかと言うと“神の視点”的な主観性を帯びている。ダニーはやはり一番面白い登場人物であり、複雑な経緯を持っています。家族を失い、ダメダメな彼氏に頼れないので、代わりにすがる“何か”を求めてさまようわけですが、その“何か”を手に入れるけれど『あれ? なんかちょっと違う……』となってしまうわけです」と回答する。そして「この映画のエンディングを皆さんがどう受け取るか。僕はロールシャッハテストのようなものとして作ったつもりです。これをハッピーエンドと受け止めるか? そうではないのか?という問いを投げかけています。カタルシスのあるラストシーンですが、皆さんの見方次第で受け止め方は分かれると思います。その線引きをなるべくあいまいに描いたつもりです」と続けた。
これまでの監督作に刺繍が多く登場する意図や理由を尋ねる質問も。アスターは「僕自身もイマイチわからないのですが、登場人物たちに何がしかのアートピース(小物)を通して表現する機会を設けようといているのかもしれません。そういえば『ボーはおそれている』もそうですし、春先から撮る予定の新作にも刺繍が登場します。おそらく僕自身のバックグラウンドが影響しているんだと思います。僕の母はビジュアルアーティストであり詩人でもあり、父はミュージシャンで、僕もスケッチするのが好きです。それもあって、登場人物たちは芸術行為を通じて自己表現をするようになっているのかもしれません」と分析した。
自身の失恋経験が「ミッドサマー」制作のきっかけになったことを過去に明かしてきたアスター。同作を鑑賞したあと別れるカップルが数多くいたと言われているそうで、「そうなることを予期していたんですか? 自分が失恋したから、ほかのカップルに対しても『別れちゃえ!』という思いがあったんですか?」という直球の質問がぶつけられると、アスターは「もちろん! 僕がひとりぼっちなら、みんなもそうでなきゃ」と即答し、爆笑と拍手を誘った。
最後にアスターは「公開から数年を経てもこうして手厚いサポートをいただけることをうれしく思っています。皆さんとこうして一緒に過ごせたことは美しい体験となりました」と感謝。「日本は芸術やアーティストへのリスペクトを持った国であり、そこで皆さんに映画を観ていただけることは本当に幸せです。最新作の『ボーはおそれている』もぜひ劇場で観ていただければと思いますし、気に入っていただけるとうれしいです」と呼びかけた。
ホアキン・フェニックスが主演を務めた「ボーはおそれている」は2月16日に全国で公開。
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