7月よりスタートしたドラマ『六本木クラス』(テレビ朝日系)がいよいよ終わりを迎えようとしている。全13話で描かれる本作の第12話〜第13話は最終章と銘打った、これまでとは異なる、少々血生臭く、アウトローな物語が展開される。第12話で葵(平手友梨奈)は拉致・監禁され、新(竹内涼真)が銃撃により意識不明の重体となるのだ。
暗躍するのは刑務所から出所してきた龍河(早乙女太一)。亮太(中尾明慶)の元兄貴である木野(松田賢二)を味方につけ、“仕事“として彼に引き金を引かせたのだ。
この第12話を貫くのは「会いたい」という真っ直ぐな思いだ。「歳の差が離れているから」「仕事のパートナーだから」ーーそう言って葵の「愛してる」という言葉を煙たそうにしてきた鈍感男・新は、自分の胸の中に眠る葵への思いにようやく気づく。「感謝してる人」「謝りたい人」「出会って最高にラッキーだった人」「愛してる人」、その答えは全て葵だと言うことに。
この世にある無数のラブソングで歌われていることが示すように、「会いたい」という思いの多くは最愛の人へと向けられる。「会いたい」という衝動によって、葵の入院する病院へとやってきた新と龍二(鈴鹿央士)。しかし、葵のベッドは、すでにもぬけの殻。後に龍二も監禁され、新は死の淵を彷徨うこととなる。
そんな今際の際で、新はもう一人会いたかった人と再会する。それが父・信二(光石研)だ。龍河に父を殺された新は苦く、つらい幾千もの夜を一人で乗り越えてきた。いつも心にあったのは父の姿。長屋を恨みながら生きることが新にはある種の枷となっていた。このまま父についていけば、もう二度とつらい夜がこない場所へとたどり着ける。父の誘いを遮るようにして、新の脳裏にフラッシュバックするのは死に際に「たまらなく会いたい」と願った葵の笑顔だった。
ニーチェの著書『ツァラトゥストラはかく語りき』の一節を元にした「何度でもいい。残酷な人生よ、もう一度」という葵の言葉に、新はもう一度生きることを決心する。父への思いを胸に、大切な仲間たちと生きていくことが新にとっての信念に繋がっていく。惜別の思いから浮かべる新を演じる竹内涼真の泣き笑い、「生きてさえいれば、全部なんてことない」というセリフと信二を演じる光石研の爽やかな笑顔が涙を誘う名シーンだ。
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