ミュージカル俳優、山崎育三郎(38)が8日放送のTBS系「人生最高レストラン」(土曜後11・30)にゲスト出演。高校時代、ヤングケアラーだったことを明かした。
山崎は高校時代に米国留学をしていたが、留学中に両親が離婚。東京の実家に戻ったが、「長男はアメリカの大学、次男はニュージーランド、弟は甲子園を目指して香川の尽誠学園に、父親は仕事の転勤で北海道に…」と家族はバラバラで、山崎は父の両親である祖父母と生活をすることになったという。
しかし、「この2人が脳梗塞で。おばあちゃんが右半身不随で車いすの生活で、おじいちゃんも脳の方であまりうまくしゃべれなかったり。介護の生活に入るんですよ、自分1人で。僕がやるしかなかった」と明かした。
さらに、「ずっと(介護)やってると、おじいちゃんおばあちゃんも孫にやってもらってる、って感覚もなくなってきて。お手伝いしてくれる人、みたいな感じで。(料理を)作っても、手でバーンとはじかれたり、『ありがとう』も言わなくなるし。学生の僕が2人を看るっていうその時間が、人生で一番しんどかった時期でもあるんですよね」と振り返った。
その生活は19歳で「レ・ミゼラブル」のオーディションに合格するまで「2、3年」続いたが、「ただ、自分の中で夢があったんでね、ミュージカルで(活躍する)っていう。そこが支えだったんで。しんどい時は劇場に行ってミュージカル観て『いつかここに立つんだ!』って言って、また介護生活に戻るみたいな感覚でしたね」と語った。
そして、「いろんな経験を10代でできたっていうのは大きいですね。海外での経験もそうですし、おじいちゃんおばあちゃんのことも全部10代だったので。その経験があったので、逆に仕事に入ってからあんまりしんどいことがなかった。乗り越えられたっていうか」と話していた。
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